20000131 姉の誕生日
今日は姉の誕生日だ。 ……というのに、私は夕食の時間に家に帰る事が出来なかった。というのは、卒業制作学外展の会場へ直接伺い、全員の作品をどうしたら配置出来るか等の相談をしていたのだ。成りゆき上、作品の系統別(平面、立体、ビデオ、半立体……等等七種類)の一時的代表になってしまったが故、最後の最後まで残ったものの……。平面が一番人数多いと言うのに、「平面は壁にもはれるし(厳密に言うとつるす)、移動が効くから立体の場所取り優先」という暗黙の了解みたいな物に振り回され、一番最後までもめてしまったのだ。
だって、確かに平面は人数も一番多いし壁も限られてるし、点数も多いけれど、立体の人が総ての作品展示するスペース確保しているのに平面の人だけ「面積取るから点数を減らして」ってそんなあんまりだー!と思ったのだ。もしかして私が砦じゃなかったら結局点数減らして通知がきていたかもしれないと思うとぞっとする……。それは私だから上手くいったとカ、そういう自惚れでは無くて、矢張りいかに自分達の作品に命掛けて来たかという事と、平面は空間を演出する人々からどれくらい「同じ物ばかり」に見えていたかを恐怖として感じさせられた気がした。
「連作は連作らしく」という事を必要だと感じた矢先に、「連作は一つくらい欠けても体勢に影響がない場合もある」と受け止められてしまう危険性を、ひしひしと、こう……うーん。まあ、なんだ、感じてしまったのだな。
20000127 講評
卒業制作担当講師&教授の中に、一人存在感も無くとてもシャイな講師が居られる。S先生。彼の「身近にいる動物を描いて来なさい」という課題で何を隠そう私は狛犬を描いた。龍でも麒麟でも良かったのだけど、余りにもそれは現実離れし過ぎているような気がしたのでやめておいた。だって近所の神社に行けば、何時だって狛犬はいる。身近かな〜っと……。
S先生のお仕事はイラストレーター。だというのに、絵を描いた私の卒業制作に対して意見を頂いた記憶が無かったので、今日は思いきって半ば無理矢理感想を頂いた。
彼の説明は他の教授の様に遠回しな表現を使わず、分りやすく明確に言ってくれるので、大変私にとって有り難かった。
まず、私の展示作品は合計九点、そのうち二枚、「悲しみ&誕生」と、「私」が余りにも異質と全体的に指摘されていた。自分でもそう思ったものの、一体何がそこまで異質にしてしまっていたのか、何処をどう直せばいいか判っていなかった。それに対しての先生の言葉は、「同じ様に『物』を描いていたとしても、それが独特の空間を演出する為のものであり、物として単独では見えて来ないのに対して、その二枚だけは、部分的な『物』がどうしても『物』としてそこに存在している。「悩み&希望」は、全体的なイメージなのに対して「悲しみ&誕生」は『芽』と『石』が場面を説明しようとしている。同じ様に「私」には『白い球』と『飾り』しか見えない。配列も特に大型の「私」を中央に置くべきか端に置くべきか又、以前もした様に決心して二点を外すかした方が、案外いいのかもしれない。」というものだった。
どうしても長期間掛けて描いた物には思い入れがある。けれども、それが他の努力を駄目にするなら控えてもらった方が良いのかもしれない。悩み所だ。
20000126 審査の日
今日は待ちに待った恐怖の卒業制作審査の日。今迄は出席番号一番が故に口に油の乗っていない教授達の講評&アドバイスを受ける程度で済んでいたのに、今回は展示順だったので、そりゃもう大変な騒ぎに。調子にノリノリな教授達が作品の展示順番を入れ替えるわパネルひっくり返すわ、言いたい放題好き放題。今迄は結構納得いったり物凄く参考になったり、と、かなり勉強させられたのに対して、今回は理不尽な物が多かった気がした……。まあ、これも最後だし。そこまで言ってくれる人も、今後居ない訳だし。教授達には本当に感謝して有り難く御拝聴させて頂きました。
級友からも、「何書いているの?」という視線を向けられる中書いた恒例の講評内容を公開。こうやって改めてメモを見ると、いかに作品制作中に当たり前である筈の基本を忘れているという事を再々認識。

 ●立体展示や、平面作品展示の時も、例えば元々部屋に設置されている何かであるとか、隠さねばならない物もあるだろうが、背景も絵になる様に考えて配置する事。
 ●動画系の作品の場合、短く一本筋の作品なら未だしも、選択性の物語だったりで総てを一度に見られない物の様な場合は、代表画面だけでなく、連写する等、小さくても構わないので全画面をボード等に出力すると親切。
 ●作品に台が必要な場合、台も作品同様にしても良いが、あくまでも主役は作品なので、例え台が作品より十倍以上も大きかったとしても、圧倒されない様な物を考える。
 ●平面画(写真)等、多きなパネルを奥と手前と二列で配置して天井から吊る場合、その二列の距離はさほど開いていない方が望ましい。何故なら、斜の位置から見ると奥が隠れてしまったり、人間心理上間を通り抜けたくなってしまうから。間を通り抜けると前の列のパネルの裏を拝んでしまう事になる。
 ●狭い場所でパネルをかける場合、面積的な問題があるのは仕方が無いにせよ、コの字型ではなく台形にしないと観手に対しての思いやりが感じられない。
 ●複数の絵に連続性を持たせる場合、「地球→日本→町→花」という「宇宙から近付いてくる」というイメージ的な物よりも、「人間→多細胞生物→単細胞生物」の方が、案外受け入れ易い。頁を送る時、印象に残らないと作り手が一方的に考えている様な見方はして貰えない。予測出来る絵の方が理解され易い。
 ●複数作品の時、題字は共通の大きさの方が良いが、それ以外は均一にしなくても良い場合がある。
 ●記憶的に映像が見えれば説明的でも良い。
 ●あるパターンを使って絵を描く場合、画面一杯に配置するのではなく、外形があった方が密な内部が見えたかも知れない。中が密なら、それをきゅうきゅうに詰めて配置するのでは無く、模様を見せる位な気分で余裕を持って配置した方が魅せられる。
 ●シルクスクリーンで、人間を描く主戦は墨、叉は濃色、という概念を捨て去らないと面白味が出ない。多色+墨では無く、純粋な多色刷りをするべし。輪郭だけ抽出し、少しずらしてエッジ効果を狙ったり、立体感を出したり。単純に部分的に本能の赴く侭色を変えただけでは「同じ版を使った面白味」というより、「色違い」と受け取られてしまう。
 ●絵を描く時、自分が決めた色味だけ、若しくは好きな色だけでは、色気が無い、というか、面白味が少ない。全体に色を入れろという事では無く、わさびの様なピリ辛が欲しい。変化と動きを付けるべきだ。洋画科に負けない油彩を描くのではなく、デザイン科なりの自由なみせ方をするべきだ。(この意見は洋画対デザインという意味では無く、素人が油彩の達人を真似て似た様な技法で描くのではなく、素人が知らない事を良い事に、自由に使ってみなさい、という意味です。)
 ●絵全体に筆が入っていたとしても、差の無い色で塗られるとべったりした感じがする。細かい線画一ケ所にも入っていない絵も同様。
 ●魚のオブジェを創るにしても、写真の侭では無くて意外性を持って変化させた方が良い。例えば魚に見えて魚では無い何かであるとか。
 ●悩みが多い作品。感情に合わせて描いた筆跡が、余りにも違い過ぎて他人が描いているかの様。
 ●連作なのに一枚一枚が主張すると個々としては良くても、全体的にまとまりが無くなる。
 ●半立体の作品(平面に凹凸のオブジェが飛び出しているような物)の場合、斜から見ないとその努力が報われない。下から見ると何色、横から見ると何色、とすれば多少は見えるかも知れないが、同系色で盛り上がっているだけだと遠目にみたり真正面からみた時の変化に乏しい。
 ●綺麗な物は出し惜しみしろ。照明効果で何かを見せるなら、空間なら付けっぱなし、物体を見せたいならゆっくり、柔らかに点滅させると、次に見える迄待とうという期待がより綺麗に見せてくれる。綺麗な物が総て一望出来て仕舞うと流されてしまいがちだけれど、不確定な順番に見えたりすればより一層期待が持てる。
 ●照明効果を使った作品で、必要以上に早い点滅はイライラを誘う。
 ●同じ形の箱二個を、への字型に並べられると意図的に見えて意図が無い。意図が無いなら向きを揃えても同じ。
 ●複数の場面を動画で繋ぐ場合、突然切れるのでは無く、人物の余韻を残しながら消え、次が徐々に始まる方が良い。
 ●非常に長い布を広い空間に配置した場合、その布が大きな柄であっても同じ色合い同じ形の物であると変化がないけれど、突然途中から変えられても異物が混じった感じがしてしまう。

こんな感じ。多分本文を読めば、どれが私に対して言われた事か察しが付くかと思うけれど、「連作」を考慮しないでつくってしまったのは、認めざるを得ない事なので、この作品は「一つの作品」ではなく「個々の作品の集合」になってしまったとしか言い様がないかも。私が六枚程度描いた段階で、級友が「この机の周り、個展みたいだね」と言ったのが、今になって響く。本人はきっとそんなふうに言ったつもりでは無いのだろうけれど、「連作」ではなく「個展」と思ったと云う事は、私が「連作の共通項」というつもりで描いていた物が、単なる「個性」に終わってしまったのかな、とも……。
修正しようの無い失敗ではあるけれど、賞を狙うつもりで描いた絵でもなし、良い成績を修める為の絵でもなし、ただ「自分」から「卒業」する為に「自分」「自分」に知らしめる為に描いた物なので、これは私の生涯での大きな道標に変わって来てくれるだろうと思ってる。
20000125 消えた?
昨日治療した歯に極力触れぬような生活を始めて早一日。 触るとまだ薬の味がするものの、 恐る恐るもう少し手(舌?)を伸ばしてみると……。 何かが無かった。 半分程。 ああ恐ろしい。
20000124 虫歯
十年位前に治療した虫歯が内部で再発。今朝突然痛くなり、薬も効かず、結局卒業制作最後の作業日であったものの、全く手をつける事も出来ずに明日の設営日を迎える事になった。
絵画の世界は、終りに中々出会えないと思っている。描いているうちにあそこも直したい、ここも直したいできりが無い。長い期間をかけてこつこつ描いたものは特にそうなる事が、私は多い。
もっと描いていたかったな。
卒業制作としての、且つ、絵画を専門としている方々から見れば稚拙な絵であっても、私はこの結果に満足している。 何故ならば、卒業制作を始める時、何と言われようとも自分の創りたいもの、表現したいものを創ろうと決心したから。 色々な発見の方が表現よりも多く出てしまった事は否めなくとも、こんなに大きなサイズ、長い期間で絵を描けた事は無いので、良い経験だったと思う。
完成が間に合いそうに無い友達に、「月曜日は作業出来ないから、土曜日のうちに完成させないと!」と嘘付いて騙して、土曜日の夜に「実は月曜日作業出来るんだ」と明かし、丸一日修正と改良に使ってもらう為に、私自身も騙された気分で土曜日は頑張っていた。もしかして、今日と云う日がこうなってしまうという、自分宛の暗示だったのかしら?そうも思ったり。
結局彼女が今日作品を完成させる事が出来たかどうかは明日学校へ云ってみなければ判らないが、彼女がいた御陰でこの「嘘」を付こうと思い立てたので、そういった意味でも彼女に感謝。
最後に、お互いが笑って揃って卒業式を迎えられる事を祈る。
20000123 コート
あのね、ちょっと思ったんだ。 飲食店を出る時、コートってどのタイミングで着ればいいのだろうって。 ファーストフード系の店だと、着てから出たりする事もあるのだけど、 もし自分の傍でまだ食事中の見ず知らずの人がいたら。 逆に、自分が食べているのに、傍の人が店を出ようとコートをバサバサ着出したら? 私だったら嫌だなあ……。
でも、そこまで考えるのも、少し神経質過ぎやしない?
そうも思って、悩んでいたら居ても立っても居られなくなって、 友達二人おいて店から一人コートも着ずに逃げてしまった……。
ごめーん。実はすっごく悪い事をしてしまったと思っているんだ。 せめて待つべきだったよね、店内で。 でも、私がコートを手に持ちつっ立っていたのを、 不審者を見るような視線で前に座っていた人が睨んだから、 それも「早くでなきゃ!」というへっぴり腰な私を押し出してもしまったんだよね。
う〜ん。う〜ん。


追伸。
今日プレイステーションを借りた。いえ〜い。幻想水滸伝をとうとう借りた。 そーか、軍師は嫌味で我侭で丁寧な人なのね。んでもってこの借りて来たソフトの軍師様の弟子で、更に「貴様には何か足りないから破門」されてしまった人なのね(笑)。いや、まだ起動すらしていないのですけど。主人公に元々からの名前が完全に付いていないそうなので、何にしようかと悩んでいたら二時間経過。眠くなったのでねた(笑)。
20000110 真田広之さん
これは昨日の事なのだけど、衛生放送でリヤ王の舞台特集をしていて、……というか、真田広之さんのゼロからの挑戦というタイトルのものだったと思うのだけど、それが滅茶苦茶カッコよかったのを思い出してしまった。
今朝起きた時、真っ先に思い浮かんだのがそれだったので、相当印象的だったんだなと、改めて考えてしまった。
リヤ王とは、御存知シェイクスピアの作品である。ヨーロッパでは大変馴染み深い劇であり、そこに日本的要素を加えて新しいリヤ王の舞台を作り上げよう!という、斬新な舞台らしい。ピエロを連想する道化に、唯一日本人である真田さんを起用し、能的要素を色濃く出した、見た事が無いキャラクター。彼以外は当然英国有名俳優なので、真田さんの台詞も当然英語だ。その努力は計り知れない。
道化は他の登場人物と違い、アクロバット的な部分も要求される。時代劇の彼を見た事がある私は、どうしても影の軍団を思い出してしまう。けれども、髪にはスパイラルパーマをかけ、眉毛も細くし、小さな金色の和風髪飾りをつけ、灰色の着物のような衣装に般若と能面を持つ彼の姿は、今までの彼からは想像出来ない。おどけているようで、どこか優し気な声が、彼を「馬鹿を演じる道化」だけではなく、優しさと何かちがう、気品と言うか美しさと言うか、世界を持った新しい道化を作り上げていた。
自慢では無いが、私の英語力の無さは赤子並だ。けれどもその動作の説得力で、言葉の壁は超えてしまった気がした。
日本公演の時、恥ずかしながら、私は見てみたいとは微塵も思っていなかった。けれどもこんなに素敵な舞台なら見に行きたかったと後悔するばかりである。日本で追加公演……はしてくれないだろうから、特別収録ビデオでも見る機会がないかと切に願うのみである。
20000109 間違い電話。
さっき、PHSに間違い電話があった。着信番号が親友の名前だったので、「はい?」っと少し砕けたような恐い様なふざけた口調で出たら、「すみません間違えました」との返事。しかも、友人は女なのにどう聞いても親父声!「あ、いいえ。」答えたものの私の頭の中は凄い勢いで駆け巡る。まさか、彼女、携帯落としたのか!?だとしたら今のは悪戯電話か!?それとも知らない人が勝手に使っているのか!?だとしたら警察に届けないと!っていうか、本人に知らせないと!もっと恐そうに応答しておくべきだった!!でも、何処かで聞いた様な声だったなあ。って事はまさか親友の親父様!?はぁあ!もっと華麗に受け答えしておくべきだった!!
……この間約三秒。丁度通話を切るボタンを押した所である。
出来れば一秒位で判断して受け答えしておきたかったな(笑)。
20000108    G3(B&W)突然起動せず!?
二千年一月八日十八時。何気なくG3/350(前半に発売されたタイプ)の電源を入れたら、起動しなかった。 画面中央に?フロッピーマーク。本体全面にあるCDトレイのスイッチを押しても開かず、コトンと言う音と共にHDが回転を中止する音が一度したっきりうんともすんとも言わない。再起動ボタンを押し、二度起動を挑戦してみたものの、全く同じ。そこで、一度電源を切り、キーボード以外の周辺機器のコードを総て外してからもう一度キーボードのパワーキーを押し、フロッピーマークが出てしまう前にCDトレイスイッチを連打。何とか反応してくれたので、すかさず 起動用CDを入れてみたものの吐き出された。それでももう一度CDを中へ入れると、全くうんともすんとも言わなかった。 キーボードcaps lockを押してもランプが付かなかったので、 キーボードを疑い、 ADBキーボードを差し、 USBキーボードを本体から抜いた瞬間、突然G3は起動し始めた。 CDは中に入ったままだったものの、本体が自力で起動。 Disk First Aid、及び ノートンユーティリティーで検証してみたものの、問題は無し。 再び本体の電源を落とし、今度はSCSIを接続して起動。今迄通り普通に起動。SCSIの設定がちゃんとしていないとUSBがおかしくなるケースがあると聞いたので、もしやと思って(実はSCSIボード付属のCDをインストールしてもSCSIが?マークになるので、今は使用せず、毎回B’sCrewでマウントさせている)いたものの、混乱するので今回は設定を一切いじらなかった。 CDから起動しなおしてドライブ設定の更新を行い、更に「アップルメニュー」「コントロールパネル」「キーボード」から今迄オンにしてあったイタリア語のオプションを外す。 その後 USBキーボードを初めて繋ぎ、再び正常に起動。 結局原因は USBキーボードだったらしい?という以外よく判らなかった。
20000107 服装
赤い色無地の着物で仕事に出掛けてみた。振袖では無く、普通の小袖。似合うって言われてちょっぴり嬉しい。社交辞令であったとしても、誉められるのはやっぱり嬉しい。次回から着物で出掛けようかしら?って思っても見たり。できるんだけど、どうなんだか。(会社的に。)自由って嬉しいけれど、服装に責任を持たなくてはいけなくて、どの辺までが良くてどのへんからまずいのか、境目が難しい。TシャツやGパンは相応しく無いと言うの程度は判るけれど、それ以外ってどうなのかな。逆に、スーツだとちょっと堅すぎる気もするしね……。
20000106 要介護?2!
とうとうやってくれました!うちの祖父!!
今回はなんと!「他人の家のベットで寝ていた」そうです!もう洒落になりません!
母曰く、「おじいちゃんのする事って笑い話と危険と紙一重」だそうです。
今回の経緯はこうです。まず、知っておいて欲しいのが祖父母の住むマンションは食堂があり、三食が出る所。そしてお年を召した方が多く住まわれるマンションである事。祖父はいつもの様に、一人で食事に出掛けました。食事が終わるといつもは誰かしら迎えに来ると言うのに、祖父はそれを待たずに食堂を後にしました。祖父にはもうエレベーターのボタンを押すと言う概念がありません。ひたすら待って、扉が開いたら乗る。そして、また誰かが扉を開けてくれたら降りる。こんな毎日です。今日もそれで自分の家がない全く違う階で降りました。そして、全く縁も所縁も無いお宅へ上がり込みました。マンションですから配置はどこもほぼ一緒。たまたま家の方は鍵を開けたままお留守、そしてベットの位置も一緒。祖父に自分の家では無いと言う判断は出来なかった様です。そのままよいしょっと横になるとすっかり眠りこけてしまいました。
驚いたのは家主です。知らない老人がうちのベットで寝ている!
ショックで病院に入院されてしまいました(入院されたのは事実ですが、入院した理由は本当は違うそうです。よかったよかった)。(笑)
なんだか笑い話なんだか違うんだか……。迷惑を被った家主の方々へ。深くお詫び申し上げます……。二度と同じ様な事が起こらぬ様家族持ち回りで監視致します故……。
……そういえば、国から援助してもらった事って全然ないなあ。
20000104 新年会。
祖母を家に送り届けた後、ARST(私の仕事先)新年会をfake氏の家でおこなった。 (偶然にもうちの最寄り駅で田舎からかえって来た見仏人と偶然遭遇!。袋から蜜柑を出し、押し付けて来たが、彼はその後バスで料金を払おうとして車内に蜜柑を転がし、それどころじゃなくなったそうだ(笑)。その直前にも、私と別れる際、手を振りながら侵入して来たバスへ後ろ歩きで突進して行った時は本気でひかれる!と焦った。命が幾らあってもたりないかも。)夕飯は手巻寿司!一品ずつ持ち寄り!って伝えられていたのに、魚を持って来たのはせつが氏ただ一人だった(笑)。因に私はシーチキンとみかんとIrishCakeとカステラを持参。なんかシーチキン以外、手巻寿司とは懸け離れているのは気のせいだ。
食前に64。スマッシュブラザーズを少しプレイした。せつが氏初プレイ。私が標的をけんちゃん(仮名)(強すぎ)に絞っていたという事もあったけれど、あっさり三位。せつが二位。何故?
私弱すぎ?(因に現段階で1Pゲームベリーハード、十三人のリンク使ってクリア(笑))
因にマリオパーティーも負けた。うーん、世界の壁は熱い。(熱い?)
20000103 明治神宮初詣
今年初めて身内意外に逢う日。実は結構楽しみにしていた。朝、いそいそと白い中振袖に赤地に金糸の刺繍の帯でふくら雀(自分で自分に付ける袋帯での変化結びはこれともう一つしか出来ないのです(涙))を創り、待ち合わせの駅へ直行。場所は特に指定されていなかったけれど、うちらはいつも駅のホームなので多分そうだろうと思って改札を通った直後、駅ホームからMSZさんが改札口へ向かって登って来たのにばったり逢った。
MSZ氏「おおおはよう!おおおおお、着物だ!」
私は彼の鞄から破魔矢が逆様になって突き出しているのを見た。
鼕龍「おはよう。あれ、今帰り?」
私は彼が明治神宮へ行って、破魔矢を買って来た所だと思ったのだ。その時点で午前九時半少し前。ここから明治神宮まで一時間と少し。すぐさまその考えは誤りだと気が付いた。そう、メールで待ち合わせ場所が回って来た時に参加者名が明かされていなかったので判らなかったのだけれど、彼は一緒に行くメンバーだった(笑)。
さっそく初ボケ?(byせつが)
ホームで暫く待ち、ボス電(缶コーヒーのボスで当る携帯電話)とH”(エッジ)の着信音で遊びながらメンバーが揃うのを待った。私は景品という物に当った試しが無いので、噂のボス電を見て非常に吃驚した。因にCMで使われている着信音に、ちゃんと続きまでついていた。いつか耳でコピーしてやる。そう誓うのであった。(会える機会少なすぎ……)
明治神宮は例年よりかなり空いていた。私としては「半分位?」と思ったのだけど、結局どうだったのだろう?
毎年恒例の「四十五円賽銭鼕龍ヴァージョン」は今年も健在。どんなのかって?五円玉九枚を束にしたものを、後の列から賽銭箱(既に賽銭場)に向かって投げ付けるのです(笑)。あたったらかなり痛いとおもいます。九枚であるのは「始終御縁がありますように。」
その賽銭場でひとつの事件が起こった。恐らく周りの人は気が付いていないと思った。ムツゴロウさんに似た人が、カメラのレンズをやや外しながらシャッターチャンスを狙って来たのだ。着物な私を画面端に入れる感じの角度で。最初は私を狙っているのではないと思っていたのだけど、私が前進したり、横移動すると付いて来たのでそう確信した。けれども、私が賽銭入れ待の最前列に入ってしまったので、そのカメラマンは最終的にシャッターを切れなかった様子だった。私は御賽銭もお願いも済んだし、すっかり安心して皆と合流、本堂から離れようとした時、カメラマンに決定的瞬間が訪れた!彼が私達の前に躍り出た瞬間、私は大きな嚔をした(笑)。あ〜あ〜あ。残念だったね(笑)。被写体にも写真を拒否する権利があります(どこの文書だ(笑))。
おみくじもひいて、破魔矢も買って、さあこのまま渋谷へ行こう!と、参道を歩いていたら、横を凄い勢いで今度はテレビカメラがついてきた(笑)。凄い勢いで歩いていたのは私かも知れない?(笑)。今にもこけそうで(実は内心期待してしまった)はらはらしたけれど、最後までカメラに気が付かない振りをしてあげました。
今年は参拝者も少なかったし、何より和服が少なかった!カメラマンさんももっと美人さん撮りたかっただろうに……。こんな下膨れな平安型じゃあねえ……と、素直に思いましたとさ。
渋谷では昼食を食べ、その後恒例のカラオケ。けれどもこれが失敗だった……。一人が「カラオケ自分は好きだけど、こういうのって盛り上がった試しが無い」って言っていた。私はそうは思わない。まだカラオケにそんなに行った事が無い時、当然歌える歌も少なく、マイナーなものばかり歌っていたけれど、自分が歌いたい歌を歌う(悪い事じゃないけれど)だけでなく、その中でも皆が知っている歌をリクエストすると結構盛り上がったりするものなのだ。昔、一面鏡ばりで、全員鏡に向かって座るという奇妙で狭いカラオケルームでチャゲ&飛鳥のYAYAYA!を歌った時、私二番以降自信なくて、ドキドキしてたら、正面に映った全員が両手を挙げてノリノリでフォローしてくれた。あの時が最高に楽しかったな。だから、私は知っている歌が来たらハモったり手だけ踊ったりするのだけど、そういうノリは私だけだったらしい。「シラフの時はちょっと……」「かなり寒いよね〜」とか言われちゃって非常に悲しかった。「ちょっと寒い」とか「つまらない」とか思っても、決して口に出すべきじゃ無いって、本当に思った。だって、それを言ってしまう事が本当にその場を寒くする。本人悪気はないってきっと逃れているだろうけど、そうやって知らず知らずのうちに人を傷つける事もあるんだよって、人の振り見て我が振り直す事にした。

今日は実は母方の祖母が来ていた。皆で一緒に談話するのかと思いきや、翌日から早朝出勤な父と姉と、それを車で送る母はなんと夜八時に寝てしまった!。着物な私一人でどうしろと?
かなり痴呆が進んでいるものの(主に、単語の欠落が激しい)、会話には自信があった私は祖母を飽きさせない為に様々な話題を提供した。十分間で十回以上も御菓子を進められた時もあったけど(笑)、靴下がないと夕方から探していたので一緒に探したりもしたけれど(結局右足に四枚履いていた)、中々面白い経験でもあったかな。 会話中に一文字でも聞き落とすと全く言いたい事が判らなくなると言う、会話総てが虫食い問題状態で、耳と精神はとってもつかれましたとさ。
20000102 要介護?
今日は父方の祖父母が我が家へ遊びに来て下さった。祖父、96才。一歩一歩の歩幅は約10センチである。祖母は骨密度が酷く低下しており、本人は歩けると自信を持っているものの、いつ骨を折ってしまわないかとはらはら。若いうちから骨を鍛える事の重要さを改めて認識。そんな二人を家族4人総出で支えながら行動。介護とは肉体労働である。酒屋さんの瓶や、宅急便の品も重いけれど、重くても最後の一瞬まで気を緩めてはいけない点で、精神的にも疲れる。毎日介護に当っているひとってスバラシイ。筋肉質な天使を想像した。
私は昨日と同じ薄緑色の中振袖をたすきがけした様に後ろで縛り、必死になって祖父母の手助けをした。 こんな日に何故動き難い着物だったか?それは、玄関から激しい段差の階段のある我が家に、祖父母が今後も来られるとは限らないという事も関係している。昨年、私は祖母から大量に着物と帯、その他和服類一式を総て頂いたのだ。だから、自分でこれだけ着物が着られます、頂いた着物も箪笥の肥やしには決して致しませんと言う意志を見せる必要があったのだ。祖母はそういう所を凄く気にされる方なのだ。これは功を奏して、祖母は大変満足してくださったので、私としても大変嬉しい限り。

さて、話は変わるがいよいよ、介護保険がスタート。私はよく知らないけれど、どうやら祖父母の所にも市の職員がこの人はどの位介護が必要か、1〜5の判定をしに来たらしい。5が最も介護が必要という意味。歩行困難な祖母は2と判定された。頭は非常にはっきりしている為、明らかに肉体的問題での判定だ。 祖父への判定はなんと、4だった。祖母よりはまだ一人で歩けると思っていた私は少し驚いたが、すぐに考え直してこんなものかな?と納得した。市の職員と祖父のやり取りは、聞いた話ではあるが以下の通りである。
市の職員「それではまず、お名前を教えて下さい」
祖父「……」眼を瞑って寝た振りをしている。
市の職員「おいくつですか?」
祖父「私は〜大分〜歳〜なので〜……。もう考えない事にしています。」
市の職員「ああ、そうですか(笑)。では御住所を教えて下さい。」
祖父「……貴方に言っても多分知らないでしょう。」←仙台出身。そしてここは横浜。
市の職員「……」
そんな訳で祖父は重傷と判断されました(笑)。なんだかもう既に漫才にしか見えない……。
20000101 元旦。
「3、2、1、わー!」「明けましておめでとうございます〜」
ひゆ〜どんどんどん。
拍手喝采と無数の花火により、ミレニアム?と呼ばれる今年が始まった。 その記念すべき瞬間、私はテレビの前で思いっきりうたた寝をしていた。 振り返れば、2000年になる20分前迄、一家団欒のマリオパーティー2。何度やっても私が優勝してしまうので、勝つまで只管止めさせてくれそうもなかったのだ。ちょっと外に出れば私より強い人なんて、五万といるだろうけれど、取り敢えず家族の中では私と姉が競い、次点母、最下位父。それがだいたいの終了パターンである。母は姉に関してはどうでもいいとしている癖に、何故か私には異常なライバル意識を燃やす。はあ、やれやれ。今年もこんな一年かな?
毎年元旦には親戚中の集まりがあるというのに、今年は本当に数年振りに外出しない正月となった。それでも私は自力で淡い緑の中振袖にふくら雀を絞め、正月を演出。巷では「2000年問題って、なんもなかったじゃん!」とか言われているけれど、姉の会社からは大晦日22時頃会社から緊急呼び出しの電話があったり(丁度その時姉は居なかったので、運良く(?)別の人に替わってもらえたらしい。)、父の会社では緊急連絡&電話連絡待ちで24時間体勢で電話待ち(結局異常は後日出た)、私と言えば元旦メールが総て文字化けと、2000年問題に振り回されっぱなしだった。ま、どれも大事には至らなかったからよしとする。 母曰く「買い溜めた食料品はどうするのよ!」って。まあ、例年より長く買い物に行かなくても済むからいいんじゃないですか?

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