20000331  明日から新生活……?
ラジオがそう熱く語る中、私は……明日も同じ生活の予感?あれ?……何故だろう……。不思議だ。
ところで、……ところでなんて言ったら大変失礼ではありますが、私は本気で有珠山について、早く噴火がおさまらないかなと願っています。というのは、勿論近隣にお住まいの方々の事も心配ではあるのですが、避難する事すら許されなかった家畜達について、私は心を痛めています。どうすることも出来なかったのでしょうか……?
馬だって、逃げる事で混雑する車より、交通手段としては役に立ちそうなのに……。餌の問題、糞の問題、アスファルトの上を歩く事に対しての馬への影響……様々な要因で避難させる事が出来なかったと思うのですが、テレビで中継された映像の中に、馬を厩へ入れてから避難する方の映像があり……、それでいいのか!?と、無駄だと思いつつ叫んでしまいました。噴火の影響のない同業者の所へ、一時的に預けるとか、そういう場所にトラックで避難させる事は出来なかったのでしょうか?ボランティアとか、なかったのでしょうか……。人間が避難したと確認した後でもいいから自衛隊が手伝ってあげるとか出来なかったのでしょうか……?
勿論人命第一ではありますが、家畜だって命です。財産として見ると「こういう職業の人だけ財産も運搬するのはおかしい」という事にもなりかねませんが、それでも命にはかわり無いのです……。馬も犬も鳥も豚も牛も命にはかわり無いと思うのです。大切な家族だという方も多いはずです。……その家族を置いて行けとは余りにも酷な事だと……そう思います。
雲仙普賢岳噴火の時も、家畜の様子を見に帰った方が被害に逢われた……と記憶しております。
願わくば出来るだけ早くに噴火がおさまり、彼等の命が誰一人として失われる事の無い様に……。

20000328  井の中の蛙、大海を知らず。されど天高きを知る。
今日は市役所へ行って来ました。国民健康保険の加入について。
私は依然警察の方に冷たくあしらわれた上に被害者は私だと言うのにまるで犯人のようなというか、「事件起こさないでよね〜面倒臭いから」とも受け取れる態度をされた事を根に持っているのでお役人さんに対するイメージはかなり悪いものばかりでした。友人が住民票を取りに行った時の対応も「忙しいんだからさっさとしてくれ」という姿勢だったので、そこで悪印象を拡大してくれていた訳でもあるのですが……。ですが、今日は違いました。それを一掃してくれると思いたくなる程の爽やかな優しいわかりやすい対応でした。
まず、私は国民健康保険について知っている知識は皆無でした。掲示板等で数名の方々から教えてもらって何となく姿が見え始め、そして今日青葉市役所へ行ってみると係りの人は全員窓口へ入ってしまっており、銀行の様に質問に応対してくれそうな方は一人もおられませんでした。
そこで、私は少しげんなりしながらうろうろ歩き回り、窓口のすぐ傍にマニュアルが山積みになっているのにきがつきました。必要だと思われた書類に目を通し、出た結論は「窓口へどうぞ」。保険は収入にも影響してくるので、個人差が出るからです。窓口は人が出たり入ったりの繰り替えし。その中に長々と質問で攻める人が入れば順番が滞ってしまいます。それはいやだな……と、思っていると、一つ空いている窓口が。そこは医療関係の窓口でもありますが、なんと親切にも質問対応窓口でもありました。すると、熟練でもなさそうな、けれども新米でもなさそうな、大変親切な方が「どうぞ」と席を勧めてくれました。
私の質問の焦点は

●1ー国民健康保険を手続きすると、いつから使えるのか。
●2ー保険料
●3ー支払い方法
●4ー書類の書き方揃え方

でした。するとその方は懇切丁寧にわかりやすく説明して下さいました。

●1ー国民健康保険は今迄入っていた保険が切れた日から。叉は申請された日から。申請が出されると翌々日には家へ輸送されます。
●2ー保険料は前年収入に影響します。国の定める所得基準(四月頃決定)を下回る世帯については保険料均等割り額の六割または四割を減額。
構造としては「所得割額(被保険者全員の市民税額合計の倍×年度内の加入月数/12)」+「被保険者均等割額((被保険者全員の人数×指定金額)×年度内加入月数/12)」からなりますが、私鼕龍は前年度は学生で収入も殆ど無し、扶養家族の一員でしたので、それにより、恐らくこれはまだ不明ですが所得割額が零円、まだはっきりした金額は未定ですが約三千円〜四千円の見込みの被保険者均等割額のみの対象であると思われるという事。
●3ー加入手続きをしてから請求書が発行される迄約一ヵ月半。よって今したとすれば六月に請求書が届くのでそれに従った支払い形式で。
●4ー書類には今迄の保険の「資格喪失証明証」(会社側から発行される)と「国民健康保険異動届出書」(市役所においてある)と朱肉を使った印鑑が必要。

……との事でした。確かにマニュアル通りの対応といえばそうなのかも知れませんが、始終笑顔で、少々語尾が「どうくくろう?」と一瞬止まって笑顔で誤魔化すいう慣れていない面が見え隠れしていましたが、それが逆に人間らしさと言うか、非機械的な親しみに感じました。こうやって文章で書くと難しいですが、実際に図を使ったり書類をとって見せて下さったりして非常に分りやすい説明でした。ああ、こんなに良い人もおられるんだなと、今迄見て来たのはほんの一部の冷たい方々だったんだな、と、思ったりしました。
純粋に行こう。
20000327 心配と攻撃。
う〜ん、人生に不安を見た。
今日も親に攻撃されて、トホホ人生です。でも、ま、どうにかなるさ!と、マイペースで頑張ろうかと。このマイペース加減がトロすぎていらいらするらしいとは知っていてモネ〜♪ 人生って難しい。(特に就職、金銭問題)

20000326 着物
今日はTRPGという、複数人が寄り集まって話し合う遊びを致しました。別に服装とか関係ない集まりではありますが、テーマが時代劇なので着物で行きました。私は結局紫の渋いものでいきました。どうみても子供の卒業式に同行する親並でした。てへ。
前回は参加者中二人(橘さんと私)が話し合って着物で行きましたが、今回は一人無理矢理(カノエ氏に着せて)増やして三人着物で参加しました。前回私が体調不良による貧血の再発防止、それから着物に慣れないカノエ氏へ、苦しくない着付けをしようと試みたところ、カノエ氏が案の定裾を過って踏んだ際に下前上げてある分が直線系に降りてしまいました。激しく着崩れる事はなかったものの、自分の未熟さを再認識。自分に着つける分には殆ど問題はないのだけれど……。改良枕を使った「一巻しかしない名古屋帯」は全く初体験で、一瞬どうしようかと思いました。結構緩めになってしまっていたけれど、あれはあれで良かったのかしら……と、少々不安もあったり。帯が落ちる事はありませんでしたし、外見に問題はありませんでしたが、「帯を結ばずひっかけず」な形で良かったものか……。自分にやるお太鼓の場合帯は結びませんが折って丸めて差し込んで……と、引っ掛けるもので……。とかいって袋帯で二重太鼓する際に左手が上がらず一部折り返しにしわがよってしまうと言うミスはしましたが(これは帯締めでごまかしたり。外見はそれ程問題なかったです)。
何事も修行修行。
20000321 能力鞭打
今日は、無謀な事に家からネットサーフィンしてみました。文章系サイトへ行って見たからよかったものの、画像系だったらきっと1頁で打ちのめされていました。う〜ん。早く来い来い専用線!(怒リング)
「ビールは飲み物ではない」と言われました。 という事は、え〜と、何だろう?家では冷蔵庫にメモを貼るマグネットが確かビールなので…そうか、「メモ貼る道具」、または枝豆のおつまみなのね!(違う)
更に、お酒に関して全く無知な私。 馬鹿質問ここで一発。焼酎と日本酒の熱燗?ってどのへんがどう違うのですか〜?(笑) 因に「ポンシュ」と言われると、判ってはいても「ポン酢」を連想する私…。
卒業制作五反田展へは、後々聞いたら行く気で辿り付けなかった人と、私がいるのに気が付いていながら声を掛けて下さらなかった方が更に数名ずつおられる事が発覚(笑)。来て下さった皆様、ほんっと〜うに有難うございました!そして、時間的&道的&場所的&方向不明的理由から御越し頂けなかった皆様、色々手を差し伸べるに至れなくて本当に済みませんでした〜…。とほ。漏れなく救えなかった千手観音反省します。場所があればまた展示したいのですがねー…、やはりギャラリーは高くて…。そのうち希望者様へ寄贈させて頂こうかと思っておる次第です。多分バラバラに…。

そして、ここでまた一つ問題発覚。保険証…なんだか学校卒業するのに一生懸命すぎて、扶養家族から離れるという事をすっかり忘れておりまして…。今ごろ焦っていたりする次第です。何だか全然どうしたらいいか判らないのですが〜。(というのは、出来高制なデザイナー職の場合、その会社の社員という扱いでは確かなかった気がするので、そういう話をされた事がないというべきか…) 誰か手取り足取り教えてくださ〜い(切実)。お役所で、そういう事親切に教えて下さるものなのかしら?
20000320 別の見方
昨日書いた「脱出用ポットに二人辿り着いたらどうする?」の別の視点。 脱出用ポットに辿り着いた相手が動物だったら?動物だったら……。いや、でもその動物が愛犬だったら譲るかも……。 食料必要になっても愛犬は絶対食べられない…。それなら餓え死にます…。愛犬は愛犬だから…。手塩にかけて育てたから…。たとえ愛豚だったとしても、絶対食料にはできない!という訳で、私は牧業はきっと出来ないでしょう(笑)。飼うだけならいい!毛を刈るための羊だったらOK!でも…食用はきっとないちゃってできない…。
そういえば、小説を書いているときや、卒業制作を描いている時は、「今は死ねない!終るまで!!」って結構思っていたなあ…。そんな時ならきっと考え方も違ったろうに…。けれど、あの時「終って死んでも悔いがないように」とか思っていたりもしたしなあ…死ぬ気だったのかな?(笑)。その割りには「描き直したい」とか既に思っていたり。っていうか、小説は確実に描き直したい。

消したい過去
…っていうか、もうなんちゅーか赤っ恥人生送り捲りで、かなり証拠隠滅したい気分です!!!一番キツかったのは、二度と描かないホ○な本の後書きの内容を父親が知っていたという事かな。表には一切置いていなかったから机漁られた…という事なのだけど。 他にも思い出したくないことが山ほど(笑)。まー、あれがあって今の私なのだろうけれど…。なまらいや〜んな気分。過去に復讐…は考えてないです。復習する必要はあるけれど(笑)。まあ過去をいや〜んと思えるという事は、それだけ成長したのかなと、思って見たり。過去に対してはそんな感じです。
卒業制作作品は、恐らくもう日の目を見ることはないでしょう…。誰か欲しいと言って下さる方と、個展を開くチャンスがない限りは…。一応HPに写真は乗せてありますが、ラメやホロは写っておりませんのであしからず…。
20000318 学外展
昨日から始まった卒業制作学外展、暇なような忙しいようなで今日は泥のように眠りました。昼過ぎまで爆睡。昨日舐めたビールが利いたのかしら? (因に私はビール苦手です。発砲物慣れてないに加えて苦いから…。はやく「喉で」飲めるようになりたいデシ。甘いカクテル好きなの。でもあまり飲みに行かないから名前が判らない…(笑)。こんな私にお勧めってあります?)
卒業制作展は19日まで五反田駅出て左手すぐの東京デザインセンターで開催中!入場料は無料ですので是非是非いっらしってくっださい♪(19日は17時終了) 私は19日昼少し前位から終るまでおります。閉展後は撤収があるのでご飯は一緒出来ないけれど…。照明とかが今までの中で最高の環境なので、是非是非!生が一番!(というか、ラメやホロって写真に写らないから…(涙))見ていただけますと光栄です。
あと、卒業制作の頁を作りましたので、そちらもご参照になって見て下さい。
●以心伝心…。昨日、一卵性双生児である友達の姉上に御会いしました。もう以心伝心以上に…繋がっている!といいたくなる程の神秘を見ました。もう不思議というか、神が創りたもうた奇蹟というか!Uちゃん、最高!(笑)ごちそうさまでした。
●第三の選択肢…失敗を恐れていては何も出来ないさ!…という風に声を大にしてよく人に諭すけど、実は私が一番失敗を恐れていたり(笑)。だからよく誤解されたりするのだけどね。でも、いつも自分に言い聞かせている言葉でもあったり。
●ネット取り引き…そう、早いし色々探せるしで便利!その分落し穴も!という事で、「ここは大丈夫!」という店のみ頼んで見たりしています。クレジットカードは持たない主義なので振込のみで。掲示板上での売買はちょっとまだ危険だと私は思っています。
●時計…以前祖父から生きているうちの形見分けで頂いた「電池のいらない自動薇腕時計」を友達が不注意で落し、壊れた事があります。でも、何せ戦争中か直後の品なので、修理など出来ないだろう…と思った私は、友達が床に落した角度と180度反対の角度から机に「コツン」とぶつけて見ました。そしたら直ったという経験が…。今でも動いています。でも、よい子は真似しちゃいけません。何せ、「叩いたら治る」時代の品物ですから。
●脱出ポットに1人しか乗れない状況で、自分ともう一人がその場にいたら……もしかしたら譲るかも…。ポットに乗れなくてももしかして生き残れる可能性をほんの纔でも信じるだろうから。死ぬつもりは毛頭ないから。 食料が一人分…だったら分ける。でも仮に、食料を持っていたのが私のみで、蟻とキリギリスで相手が遊んでいたが故に食料不足に陥ったのなら、もしかして分けてあげないかも(笑)とか悪魔が囁く(笑)。 でも、既に自分が脱出ポットに乗っていて、「譲ってくれ!」といわれたら、私も自分が生き残る方を選ぶな〜。その人の分も一生背負う覚悟で。心の底では当然「俺様が残る!」っていつも叫んでいるのだけど、頼まれると断われない私…。いつもそれが貧乏くじになる。最終的に命取りになるとは知っていてもね。あ、勿論相手の態度にも寄るけれど。
そういう場面を逆にして考える…なるほどね。自分が幸せになったとき既に幾つかの犠牲があっただろう、か。普段見落としがちな所だね。
20000315 最後の登校
●いや〜、今日は最後の登校日で、ちょっとキレて来ました。うわ〜ん、最後にアレかいな態度で皆様ごめん奈歳でした。大人気ない。
言葉……言葉とは本当に難しいものです。
「人は自分が心で考えた事ですら、100%言葉へ変換する事は出来ません。自分ですらそうであるのだから、それを他人が100%正しく理解してくれる事は完全に不可能です。けれども、例え不可能であると判っていたとしても、限り無く100%に近付ける事は不可能ではないと信じています。」誰が言った言葉だかはもう記憶の彼方ですが、かなり昔にそういう話を聞き、いつも私はその言葉を自分に言い聞かせています。話し手が何かを必死に伝えようとする事、聞き手が何かを必死に受け取ろうとする事、その両方が出来るだけ100%に歩み寄ろうとしたならば、それだけ充分に伝えられると思います。
少しでも100%に限り無く近い、本当の言いたい事が伝えられます様に……。
20000310 文化
アメリカで「マリオパーティーというゲームをやったら手に豆が出来た」とのクレームが寄せられ、任天堂は購入した家庭に最大4つの手袋を配布したらしい…。我が一家も実は豆を作った。けれども、同じ事は二度やるまいと、豆を作った原因にさしかかると父は軍手、母と姉はタオル、私は持ち方を変える等として対処したため、それいらい豆を作ることはなかった。 そもそも何かをしていて豆が出来た、タコができた、は本人がそれをやりすぎたから起ることであって、テニスのやりすぎで手に豆が出来たらラケット会社にクレームをつけるかというと、そうではないような…。手に豆を作るという過程を超えればそれだけ皮も厚くなって実力がつくという発想にはならなかったのかな〜(笑)、とか思うと、日本とアメリカの文化の違いを感じたり。やりすぎは自己責任では?とも思うのですが。 どうだと思います? 私はこのニュースを見て結構笑ったのですが。
20000309 深夜メール
珍しく深夜にPメールが来た。一通目は対して深夜ではなかった。零時半っだったし。けれども結局終わった=最後のメールが来たのは三時半。Pメールチャットの様になってしまった。う〜ん。その頃私は幻想水滸伝2をやりながら紅茶飲んでいました。私にとって紅茶はジュースみたいなものです。飲んだ所で眠れなくなるなんて繊細な身体ではありません。
そういやあメールで一番重要な会話をしている時、ゲームの方も華僑に入り、ちょっと困った瞬間もあっなあ(笑)。 因に、第一通目は私から「ミルフィ(犬)にプレステのリセット押された!!(怒)」でした(笑)。今思い出しちゃいました。誰かにこのやり場の無い怒りを伝えたくて(笑)。……うわ〜ん、駄目先輩。
昨日、中目黒と恵比須の間で電車事故がありましたが……。とうとう死者が四名にも登り……本当に残念な事です……。御冥福をお祈り致します。場所が近いだけに、恐ろしく感じます。ここ暫く家にいたものの、明日からまた電車を使うのですが、今までの様に安心して使えないな……と思うと恐いです。最後尾車両の先頭なんて、いつも私が乗っている所だし。
さて、話は変わって昨日の新聞でニュートラリーノという未知の物質が存在すると言う証拠を得たという記事を読みましたが、本当の所どうなのでしょうね。これだけ大々的に発表すると言う事は、それなりの自信と証拠が揃ったという事なのでしょうが、う〜ん。私の素人考えでは、どうもそれは重力の事じゃないの?ってな発想が離れず、一歩も前進できないです。まあ、一応ニュートラリーノは今まで何もないとされて来た宇宙空間の殆どを占めるのではないかと言われている物質らしい?ちょっと手元に記事がないので全く定かではありませんが。
そういやあ昔、宇宙戦艦ヤマトだったかな?必殺の大砲で「ニュートリノビーム」なるものがあったけど、ニュートリノは殆どの物質を素通りするものだったり。強いて言えば、超巨大な水槽の中でほんのわずか、しかも一瞬小さく瞬く程度……。あれって小説書き直したりしないのかな(笑)。
20000306 電球。
卒業制作に当てる照明をどうするかという下見に言った。九個ライトは必要だと言うのに、ハロゲンランプは一つで七千円もした。それだと卒業制作総費用より高くなるんですけど。困った。しかも、たった三日間の為だけに!?何故学校はライトを貸してくれない?いや、説明は受けた。照明を当てたいとこだわる程の作品なら、照明そのものも作品扱いなのだから、学校側で貸す事は出来ないからと。私の作品は照明にこだわるほどの物ではない。けれども、前回や、制作中の環境であった窓側を離れ、当時の半分以下の暗さの部屋に展示された時、愕然としたのだ。余りの部屋の暗さに。当然、ラメは耐えられなかった。暗い天井、暗い周囲を反射して、光り輝く筈のラメはあっさり黒く冷たく光る。白い画面の七色のラメ。それが黒く光る様を想像して下さい。私には耐えられない。けれども……。照明の設置場所として、向側のパネルに固定する許可は貰えない。自分の作品へ照射する為に他人の作品があるパネル上に照明を設置するのはどうかというのだ。不運に不運が重なった。私の向側は非常に背の高いパネルで、暗さを増させる。

私は……。

自分のパネルから自立させると、五十cm程度しか絵から離せない。学校側がライトを貸せない理由のうちもう一つに、「熱量が凄くて危険。何かあった時保証が出来ない」というものもある。それは……自分で買っても借りても同じでは……。
矢張り……最終手段を行使するしかないのだろうか……?

「ここにある懐中電灯で照らしながら御覧下さい」

果たして何人の人が照らしてみてくれるかな……?
20000305 空白の一日
早朝六時二十分、私は家へ辿り着いた。そして……寝た。 次に目覚めたのは十九時だった……。夕食を食べ……そして……寝た(笑)。私の一日はあっさり終わった。
20000304 雨の嵯峨野

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)

化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)

祇王寺

滝口寺

お蕎麦やさん

宝筺院

嵯峨釈迦堂

忘れ物

再開と別れ

果たして我々はムーンライトながらに乗れるのか!?(笑)


20000303 八坂の塔。そして千手観音

琵琶湖から朝日

超絶恐怖の路線下りバス!

天下一品

八坂の塔

おはぎやさん

清水寺

かえりみち。


20000302 ムーンライトながら。
零時をやや回ってから入って来たムーンライトながらに私と見仏人は乗り込んだ。手に持つのは青春十八切符と小田原までの指定席。帰りの切符は大垣⇔熱海だ。という事は、小田原から熱海までの指定席がないという事になる。全席指定席の車両に、果たして乗る事を許可されるのか?私達は非常に焦った。問題の列車の前に、一台、普通列車が滑り込んでくる。
「ムーンライトながらの指定席を御持ちでない方は、この列車に乗り、小田原から御乗車下さい。なお、ムーンライトながらは東京小田原間は全席指定席です。」
な〜んだ。小田原で良かったんだ。
たかがこれだけで私達は寿命が三十分縮まった(見仏人談)。

乗る前には気が付かなかったのだが、ムーンライトながらは三両ずつに別れた車両が連結されたものだった。そして、まさか私達が乗っていた車両が、名古屋で切り離されるとは微塵にも考えていなかった。見仏人の声に起こされ、寝惚け眼で私達は最後尾から最前列へ移動する羽目となった。電車丸まる一台分歩いてしまった。座れたのもなんと、一両目の二列目と三列目のばらばら、そしてそれが最後の座席だったというのだから、なんとも崖っプチ人生万歳。寝惚けた私はムーンライトながらを見て一言、「芋虫みたい」と呟く始末。内部の座席は新幹線みたいで快適だったのに、外見は小田急線の様なローカル線の様で、何か妙だった。(因に小田急線も途中駅で分裂したり連結したりするんです。ええ、勿論乗客を乗せたままで)もう空が白んでいた。

一両目だから、当然線路の進行方向の景色が見える。おお、快適快適……かと思っていたら、新聞を広げたおじさんが通路を塞ぐ形で後ろ向きにでーんと立った。当然景色は見えなくなった。あーあ、残念。それにしても何でこの人後ろ向きに立つんだ?座席は全部前向きだから、何だか逆に座っている私達が管理されている奴隷の気分ですんごく嫌なんですけど。
……かと思っていたら、次の駅で開いた座席にいち早く反応して座っていました。

空が藤色に白んで来た。穏やかな羊雲が流れ四角いレンガのビルがよく映えていた。
(写真現像中)
延々と続く線路の、同じ景色でも空の色が変わるとまた格別。夜行列車も決して捨てた物ではないなと思った。

岐阜に付く前。大きく電車が左カーブする前。言葉で表現出来難い建造物が右手地平線に見えた。それは逆光を受け、謎に拍車を掛けていた。強いて言えば……ビルに土星の輪の様な厚みで舟形光背(仏像の後ろにあるアレ)を象った……そんなビル。周囲からひときわ浮いていて、かなり異質だった……というか……。あれはナニ!?
本気で叫びたかった。
(写真現像中)

待ち合わせ場所。「京都駅八条口西端」。なんつーいい加減な待ち合わせ方だろう?でも、これを決める前までは「茶色い妖しいポスト」だったのだから、「茶色い妖しいポスト」を知らなかった私達にとっては多少改善案でもあった。そして、まるでお互い引き寄せられるかの様に一本の通路でばったり出会った。階段を降り、迷わず左へ曲った私達を迎えたのはカノエ氏。ここで無事、予定通り三人が合流した。

東寺

かなりまったりしていました。鳩追い掛けて写真とったり(何しに来たんだか)。餌を蒔く振りをすると、鳩が寄って来るので面白がってシャッターを切り捲りました。
世界の中心とも言える大日如来は修復中で、世界が乱れていました(笑)。けれども、騎象帝釈天は珍しくその場に鎮座しておられ、その凛々しさを評価しあうのに私達はかなりな時間を費やしました。大日如来はおられなかったけれど、普段は見られない台座の穴を見れて、結構感心しておりました。
その後も色が変わって模様に見える瓦屋根を写真に収めたりと散々ゆっくりしていたら、突然私の一眼レフのシャッター巻く部分の部品が粉砕(笑)、古いカメラが更に古くなりました。
五重塔は逆光を浴び、かなり苦しいアングルになり、水面に映しての撮影もかなり厳しい状況になりました。

京熊五郎

京都駅に戻った我々は、突然「ラーメン食べたい!」と叫び、京熊五郎へ。何と、そこはキムチ食べ放題。そんなに辛くはなかったさ。醤油ラーメンは醤油っぽくなく、(半醤油半味噌っていうか……。「モツ煮の味がする」(カノエ談))
その後、四人目のはあとしゃんとの待ち合わせ場所「京都タワーの一階お土産やさん」。一階は全部お土産屋さんだっちゅーの!ところが、冗談みたいにあっさり合流。こうして旅行メンバーの四人は無事全員何事もなかったかの様に合流を果たしました。

東福寺

駅から徒歩で東福寺へ向かう。「京都の道は、基本的に碁盤の目」と思っていた私は、適当に皆を案内する。すると!なんと!!せっかく駅から東へ抜けたと言う所で南下しようとすると、西……つまり京都駅へ強制送還される道にはまる(笑)。……総て碁盤の目ではない……という事を知る。

度々ニュースに上がる、土壁への落書き被害現場を生で見る事になってしまった。確かに土壁はもろい。よって傷を付け易い。中には車で角へすってしまったというのもあった。これはある意味仕方がない。事故なのだから。けれども落書きは許せない。起きてしまった物ではなく、意図的にする事だから。日本人だからとか、歴史に興味を持つべきだとか、そういうお説教以前に、一体どういう育ち方をしているのだかを疑う。これは本人だけでなく、親にも責任があると思う。放任主義、それも結構。けれども矢張りケジメは付けて貰わないと。もしその場に現行犯がいたら、私はどんな手を使ってでもそやつをとっ捕まえて大罪人としてしかるべき所へぶち込みたい。書類送検とか、そんな程度では済ませたくない。それが例え未成年者だったとしても。未成年だからいい、人に迷惑掛けていないでしょう?という犯人達の声が聞こえてくる様で、怒りが込み上げる景色だった。

東福寺の中の、小さな余り有名でない所から私達は回った。与謝野……いや、覚えていない。小さな御堂の中の白い像。「美しすぎて、数多の殿方を惑わせてしまう罪深い私をお許し下さい」的発言のついた像があったと思うのだけれど、はて?ともかく、カノエ氏はそこで御朱印を頂いていた。

そして、ぐるりと回り込み、又小さな所へ入った。樹が……印象的だった
(写真参照)
また、カノエ氏が御朱印を頂こうと、呼び出し鈴を鳴らすが、奥からは誰一人として出てくる気配はなかった。
(見=見仏人、カ=カノエ、は=はあと、鼕=鼕龍羅風)
見「でてこないね……」
カ「また押しちゃうヨ〜」
は「もしかしてさっきの人が奥で走ってたりして」
カ「あ!さっきの住職!?みたいな(笑)」
鼕「ぜーぜー息切らしてくるのか(笑)」
見「裏で全部建物繋がっているんじゃないの?」
私達はそんな会話を一頻りした後、その場を後にした。三回程度呼び鈴を押したと記憶しているが、誰も出ては来なかった。
さて、東福寺と言えば通天閣。入る前、通天閣が見える橋がある。この橋を見て、少々危機感を覚えた。

穴ぼっこぼこ。この穴なあに?

もしこれがシロアリならきっと奥はもっとスカスカだ。とすれば、この橋は決して安全とは言えない。凄すぎ。本当に?

東福寺の端にある東屋……っていうか昔のトイレを私達は覗き込む。 「トイレも残れば文化財」と言い放ったカノエ氏の一言が忘れられない。建物内部には入れず、格子窓から覗く形になるのだが、反対側の壁に大きなパネルが展示されており、当時について事細やかに親切丁寧に書き記されていた。ただ……親切すぎて字が細かすぎて、とてもではないが読める距離にない事が残念。視力1.0未満は切り捨て?

楼門はとても大きかった。二階には数体の仏像が安置されているそうだ。けれども、今日は入る事が出来なかった。どうやら年に一度程度公開しているらしい。出来れば東大寺の様に近くで見たかった。けれども周囲には厳重な囲いがなされていて、更に「石投げ厳禁!子供から目を放さない事」等と言う看板が非常に目についた。近くに幼稚園が二件程あるからなのか、仕方がない事でもあるのか?けれども、保護者は国宝級の建物……例えそうでなくてもそういった所へ石を投げる事は決してしてはいけない事だと教えようとしないのか?石が投げられない様にする事が正しい事なのか?両方必要ではあるけれど、私は前者の方が最も重要だと思う。それだというのに、後者ばかり主張される今の社会ってなぁに?

講堂の内部にも、数体の仏像が安置されていた。講堂入口にもしっかりと格子戸がはまり、悪戯がされないようになっていた。またもや私達は近くで仏像を拝む事が出来ない。
鼕「あ……龍が……」
見「やっと目が慣れて来たよ。仏像でしょ?
鼕「天井……!」
そこには鳴き龍のような……あの独特の龍が天井を覆い尽くしていた。

さて、目が暗い所に慣れた私の目は、左目が寒色、右目が暖色がかって見えていた。果たしてこれは病気なのか?それとも普通の事なのか?判らぬまま、その場を後にする。

旅行の疲れか、始めの勢いは何処へやら、私達は東福寺の苔の庭でまったりと午後の一時を過ごした。それでは飽き足らなかったのか、石庭でももっとまったりと時を過ごした。一昨日の気温とは比較にならぬ程暖かいとは言えまだ三月初旬。木々は綺麗な桃色のだった(笑)。
まったりとした空気の中、見仏人とはあとしゃんはとてもくつろいだ様に話に花を咲かせていた。それに対してカノエ氏と私は、二人揃ってカメラの御手入れ……というか、フィルムの交換をしていた。
カ「もしもさ……ここでフィルム転がしたら……ころころころ……あっ、立ち入り禁止……って感じだよね(笑)どうする?」
鼕「そりゃ切ないわ(笑)」
そして、そう言った後、カノエ氏はカメラを構えて少し身を乗り出した。
鼕「どーん(押す真似)。なんちゃって」
カ「あっ……(落ちる真似)。立ち入り禁止(笑)」
鼕「……置いて行く(笑)」
立ち入り禁止区域に物を落としたら?係員に言ってとってもらいましょう。
立ち入り禁止区域に人を落としたら?ダッシュで逃げましょう(笑)。落ちてしまった人は慎重に、周囲に傷等付けぬ様に素早く抜け出しましょう。(何考えているんだか(笑))今月の流行語。「あー、立ち入り禁止」(……何それ?)

石庭の裏へ回ると、そこには広大な自然の庭とモダンな石庭の両方が存在している。
見「うわ〜凄い眺め!……ここから突き飛ばされたら死にそうだよね。……っていうか死ぬか(笑)」
鼕「はいはい、立ち入り禁止ですよ。置いて行く」
見「ダ〜イブ!」
鼕「あーっ!……立ち入り禁止(笑)。置いて行くね♪」
こうして見仏人は清水の舞台でもない所から飛び下りて舞い散ったのであった(嘘)。

すっかり閉門時間を過ぎて、私達は再び京都へ向かって歩き出した。急に辺りの気温が下がる。すると突然、カノエ氏が吃逆(しゃっくり)の連続攻撃に見舞われた。鼕龍得意の「一発目吃逆条件反射で脅かす」技は、たまたま彫刻を撮影中で手が出せなく、敢え無く断念、カノエ氏は暫く吃逆と鼕龍の脅かしに悩まされる事になった。(笑)。
脅かす時は恐ろしい形相で、濁点が付いた恐ろしい大声で脅かせ!それが私のモットー。忘れた頃に私はカノエ氏を脅かし続けた。彼は何度も驚いた。けれど、吃逆は止まらない。仕舞には「鼕龍恐すぎ」宣言まで出されてしまった……。なんたって、体当たりで脅かしたりしてたから……(笑)。
は「カノエしゃん、ときめきまくりやね」
カ「トキメキ?は?」
は「言わない?しゃっくりの数だけトキメいているんだよ♪」
素敵な発想だと思った。吃逆の数だけときめいている。それならしゃっくりも捨てた物ではないかもしれない。……でも、吃逆って百回したら死ぬって言うよ……という事は、百回ときめいたら人間しんぢゃうんだね!?なんだか夢(ドリーム)っぽくって良いかも。世の中虹色。

都路里抹茶パフェ

大勢の人から「是非行って来い!」と言われた都路里抹茶パフェ。私は白玉抹茶パフェを頼んだ。目の前に出された時、「白玉は凍り易いのでお早めにお召し上がり下さい」と言われた。そう、中にはアイスも入っていたので、接している所から凍るらしかった。ああ、そうなんだーと思いつつ、一番上にある白玉を美味しく頂いた。そして、二つ目……と思ってスプーンを中に刺すと……がちり。恐ろしい音がした。白玉は既に固まっていた。場所を変えて溶かそうと試みたが、どうやらそれは駄目らしい。確かに凍っていたのかも知れないが、白玉は二度と溶けない。ぎゅっと固まってしまった鯣の様に、もう元へは戻らなかった。白玉単体、抹茶単体、アイス単体は美味しいのに……。組み合わせてはいけないのだなと、少々思った。抹茶蕨餅は特別……と言う程でもなかったが、抹茶ヨーグルトパフェは美味しかったらしい。次もしまた行くような事があればヨーグルトを試してみたいと思う。

恐怖の路線バス

某社保養所?

恐怖のバス、保養所に関しては、非常に長くなるのでまた別の日に♪。ではでは。
20000301 青春十八切符
私はこれで、京都へ行こうと思う。直前まで帰りの切符を手に出来なかったと言う恐怖が付いて来てはいたけれど、それでも切符がある限る、どうにかなる、きっとどうにかなるとずっと思っている。 青春十八切符がどういうものかはまだ知らない。けれども、どこまででも行けそうな気がした。
鼕龍日記




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