20000725 絵画の考え方

デザイン科と油彩科は考え方が違う。そうやって自分を正当化して来た 。でも、それも何かが違うと思った。
例えばピカソの絵。現代アートとして有名だ。彼の絵を好むかそうでないか、意見の分かれるところである。 現代美術の専門家の大半は、 「社会風刺を題材とし、当たり前とされていた形をそうで無い物にした衝撃的で芸術的で素晴らしい絵画」と 解説を加える。絵画的に素晴らしい、と。
ところが、彼の生きた時代はそれが認められるような時代ではなかった。では何故変わったか?彼の考えを受け入れる人が増えたから、彼と同じ思いを秘めていた人々が表に出て来たから 。そして、それを認める教育を始めた事によって、彼の作品は素晴らしい作品と評される様になった。
世間一般で言われている彼の絵についての意見は大抵そのような物。けれども、好き嫌いは別れる。
素晴らしいけれども好きじゃ無い。
書き手も見手も人である。それは当然だ。そしてその裏返しも合って居いはずである

素晴らしく無いけれど、好き。

最悪でも私はそういわれる書き手にもなりたいとおもった。
絵画科は絵画の基礎を徹底して学ぶのに対して、デザイン科はそうでもない。絵画科が只管絵を書き続ける中、デザイン科は積み木を並べている。図学やら、設計製図やら、数学的な事もかなりやる。絵画かが色の調合を学ぶ中、デザイン科は色の原理、色の数値による表現法法など、物理的な事を学ぶ。絵画科がテクスチャーについて学ぶ中、デザイン科は見て判る物を学ぶ。絵画を書くのとデザインするのと、学校が誕生する以前は同じようにされてきたものが、学校の存在によって大きく離れて来ている 。そして、教えられる内容も大きく違う。
私は絵画について殆ど何も学ばなかった。教授が最後まで私に言い続けた言葉は、「言いたい事を物に頼っちゃいけない 。例えば希望とか誕生とか、そういうのを書きたい時に木の芽を書くのは安易すぎる。」と。
今は私もそう思う。けれども、絵画科にとってはそれ以前に「物と判る物を書くのは安易だ」という。どうやってかいたか伺わせないような、 テクスチャを自分の物にした、そういう絵画が良いものとされ、他は評価する以前だと言う。そういうものは全く認めるに値しない、そういういいっぷりだったように思われた。
自分のレベルが高いとも思ってはいなかったが、そこまで言われるのはいささか心外だった。作品総てを否定されたような物だ。そして 、画法の違いによって絵のレベルに対してのみ評価され、何が言いたかったかなど感じられていないような気がした。それが油彩科の彼の意見であると割り切って構わないのだろうけれど、表面で決めつけられた感がして非情にやりきれない怒りが込み上げた。

一人が声を高らかに「ピカソの絵は素晴らしい!」というと、周りは口を噤むか賛同するしかない。そこで争ってもなんだし、それがマナーと言うか、暗黙の了解になっているところがある。勿論私もその一員で、何かの意見に対して一人が 「素晴らしいと思わない?」ではなく 「素晴らしい!」と言い切った場合は口を噤む事にしている。素晴らしいと思っている人の前で貶して波風たてる程愚かでは無い。けれども、食事の席で、まだ食べ始めで手も付けて無い料理に対して「これ超まずくない?」と言うのは常識知らずだと思っている。そして、その現場に自分が居合わせたとしたら、それに対して沈黙で答えるのも不適切だと思っている。美味しく無いと本当に思ったとしたらそうだねと答えるかも知れないけれど、私は少なくとも食事を終えた後にそれをいう。料理を美味しく食べるには、味そのものに加えてその場の雰囲気もあると思う。それが「まずい 」の一言でいともあっさり破壊されるのだ。批評は結構 。けれどもそれを言うタイミングを間違えてはいけない 。

私は自分の書いた絵に対して様々な感想を頂きたいと思っている 。けれども 、一人が批評した事で周囲が見る間もなく口を噤んでしまった事が大変惜しくてならない 。
所詮絵は個性が強い。総ての人に好まれる絵など、私には不可能だ。そして、夢を描く為にも現実を無視した書き方もしたい。いかに「単なるイラスト」と呼ばれる絵画になっても私なりの絵を書いて行きたいと思っている。
私が何を言おうとしているか……伝わっているのだろうか?

面白い事に、私の卒業制作作品九点の中から、一番何が好きかと伺うと、油彩科出身、もしくは油彩に多少なりとも縁がある方々全員が同じ物をさした。その方々は面識も無く、別の日に聞いたので人の意見を参考にしている訳では無く自分の意志でそれを指された。その絵は具体的な物を殆ど書かず 、フラクタルを活かした滲み絵の様なものだった。そう 、彼が唯一「見れる絵」と評価した絵だった。

その絵を好むのは個性だと思っていた。けれども個性は教育で変えられる……。そう受け止める事のできる一場面だった。
20000724 今日のShade、レンダリング時間。

38589秒。
20000723 自分のピーク。

「一度きりの人生だから」
そういう台詞を幼い頃から何度も聞かされていた。恋愛を題材にした邦楽も、
「だから、後悔しないように思いきってやれ」
というような歌詞の物が多い。でも、本当に「一度きりの人生」だって判って言っているのかな?何となく、「眠れば明日は来る」的な安心感を持っていやしない?私も持っていないと言えば嘘になるけれど、それでも自分の人生「このままでいいのか?」っていつもいつも自分に問うている。いつも「勉強の為」って言い聞かせていたけれど、実際どれくらい勉強したかと思えば大した事無い。そしてでは変わりに大いに遊んでいるかと言えば、そうでもない。何故遊んでいないかと言うと、遊ぶお金も無いから。では働いて稼げばいいでは無いか?そう、稼いでもいない……。では半分開いているような時間は何をしているか……?……何をしているのだろう……?いつも何かやら無ければならない事に追われている割には、一日では終わらず、結局長引いた挙げ句、時間だけがとうとうと流れている気がする。こんなじゃ駄目だ。
毎日働かずに家にいるなら、それなりに形を残そう。それが長くも無い、後数年で下り始めてしまう自分の人間としての一番充実した日への大切な下積みになるようへと、形を残したいと思った。
20000720 隕石

母と姉と車に乗っていたら、遥か上空から物凄い勢いで隕石が落ちてくるのが見えた。前方に集中している母は気付かず、いつも空ばかり眺めている私が飛行機を見つけるいつもの感覚でその隕石の存在に気が付いたのだ。それは塵をまき散らしながら逃げる暇も考える暇も与えてくれず、私は危ない!と叫びながら後部座席に蹲るしか無かった。避けられないと思った。でもそれは極限まで大きくなった後、そのまま私達の頭上を越えて一キロ位後方の小山の向こうの屋根だけ見える体育館の周辺へ大きな噴煙を上げて落下したようだった。
隕石の大きさは相当あった。黒い砂のような、土のような物をまき散らしながら落下して行ったその大きく丸く黒い物体を私は忘れる事など出来そうに無い。窓を閉め切った車の中にいたからか、音は無かった。
昔夜に見た空半ばで燃え尽きた隕石は、「ヒュウゥ」という甲高い口笛の様な音を立てていたのに比べると、随分静かすぎる気がした。ショックの大きさから音が聞こえなかったのかも知れない。
私達は運良く隕石に当らなかったけれど、あの体育館にいた人々は一体どうなったのか?恐くて来た道を戻る事は出来なかった。
けれども、隕石は一つだけでは無かった。あれほどの巨大さは無かったにせよ、似たような隕石が幾つも幾つも落下して来ていた。車でその太い車道を進み続けると、カーブの先でガードレールにぶつかって火を吹いている車がいた。どうやら隕石を避けようとハンドルを切ったらしい。しかし、隕石は近くに落下せず、独りガードレールに突っ込む羽目になったようだった。
私は隕石が突然こんなに降って来た理由を考えた。そういえば、火星に火山や水が流れた跡があったとかなり前に報道されていた。という事は、その火山の影響がここまで届いてしまっていたんだな……
………と、分析する夢を見た。ふふふ、驚いた?そう、夢だったの。火星の火山か………って、そんなわけないでっしょ!と、起きた後自分に突っ込んでみたり。
例えば、地球の火山が宇宙まで飛び出ていたら、自転公転に影響が与えられまくりだっちゅ〜の!!というか、火山の噴火パワーで地球ごと宇宙旅行できちゃうかもよ。
20000719 パシフィック

JR長津田ホームにて、足もとにハトが歩いてきたのだけど、そのハト、両足の指が二本ずつないの。それぞれ違うところなのだけど。
いたずらかなあ?事故かなあ?
少し気になって見つめていたら、「チッこいつ何もくれねぇや」って愛想つかされたみたい。その後ろ姿を見送ってしまった……。
今日はサザンの新曲が発売開始された。
私「ホテル………なんだっけ?しかも、誰だっけ!?突然ど忘れしちゃった」
見仏人「サザンでしょ?ホテルカリフォルニア……だっけね」
私はあ、そっか〜と納得していたけれど、カリフォルニアちゃう。パシフィックや!!! (気が付くまで24時間を要した(笑))
20000717 梅雨明け!!

今日梅雨明け宣言が出ました。というか、もう先日からずっと真夏日で、梅雨らしい雨が降っていないので、とっくの昔に開けていた気もするのですがね(笑)。
気温?正午の段階で34度でした。これで湿度50以上だったら体感気温は40度超すわよ〜!!!

あつ〜っ!!!
20000715 新島で震度6弱!

14日にね、「(12日地震雲みたってゆってましたが)何も起きませんでしたね」というメールを飛沫氏から頂いた。う〜ん、そうだネ。でも三日後っちゅ〜のは15日だヨ……って、ココロのツッコミしていた。ら。 午前十時半頃、新島近海を震源とするマグニチュード6.2(推定)な地震発生!!伊豆諸島では震度6〜5で、関東地方は4〜1でした。大阪も1だったらしい……。随分広範囲で起きた物だ……と、思ったり……。うおおお。関東大震災が恐い。

伊豆諸島の方々……本当に……めげずに頑張って下さい!!って応援するしか……。家屋の倒壊もあったみたいで……大変……。
20000714 ガラスのお面

母が更年期障害らしくて私の顔を見るなり怒り出した。目障りだってさ、ふふっ(笑)。「平日は仕事、土日は休み」というのが常識できた母にとって、「平日休み、土日仕事」というのは目障りらしい……。しかも、土日仕事しに行ってもどうも遊びに行っていると思っているらしいし。う〜ん。つらいのう。一週間もすれば治まるかな?
昨日今日と、久々にむじゅりました。(=ゼルダの伝説ムジュラの仮面なるゲームをやった、の意)。行方不明の婚約者カーフェイ(男)を探し出して下さいって依頼されて、三日以内に探し出すサブイベント。(本編すすめろって(笑))。結婚の儀式の際に使われるお面をスリに盗まれちゃって、三日目の夜にスリが隠れ家へ戻る際に一緒に忍び込まなくてはならないのに、初日に爆弾やのおばちゃんから爆弾袋を強奪した瞬間を見てしまって、スリを追っかけまわしてフックショット(フック付き鎖)で引っ掛けようとしたら荷物ごと爆発して、スリが消滅してしまったり(笑)、スリ待ち伏せの時刻に間に合わなくて取り返せなかったり、道端でスリと鉢合わせしてしまって高飛びされたり(涙)、壁の角に足ぶつけて立ち止まったが為に間に合わず、目の前でお面金庫に入れられちゃったり(笑)……何度も失敗しました。
(余談ですが、シリーズ通してゼル伝を御存知の方は嬉しい演出が随所に♪表れています。このサブイベントでは、「ミンナニハナイショダヨ」って……(喜))
ゲームだから何度もやりなおせるけれど、本当だったら一度のミスも許されないんだなあ……と思ったり。人を捕まえるお仕事って本当に気を使うのですね(笑)。
総て上手く行くと、感動の結婚式なのですが、彼は徒歩でリンクは空飛んで街へ戻れちゃうので、花嫁と一緒にカーフェイを待ったあの時間がとてつもなく長く感じました。(二時間位だったと思うのですが。因に、ゲーム中の時間は実際の約10倍くらいの速度で流れています。ですから、二時間=十二分程度です。)窓の外には月がもう落ちてもおかしく無い程近くに来ているのですよ。(実際その時点で、月が落ちるまで一時間しか残されていません。)街の住民の殆どが、逃げ出していて、数人が「世界は滅びるんだ……」と諦め、「月が落ちる訳が無い!」とまた数名残り……。花嫁は「彼を信じます」と家で待ち……。朝の5時、カーフェイが迎えに来て、リンクを証人として儀式を上げた後、「貴方達は逃げて下さい。私達は大丈夫です。だって二人で明日の朝を迎えられるのですもの」って花嫁に言われるの。
明日の朝……。窓の外にはあと一時間で落ちる月が……。

映画「アルマゲドン」をはじめ、数々の世紀末映画、いわゆる「あと○日後に地球に彗星が落下、人類は滅びるだろう」系の映画が昨年大量に作られましたが、ムジュラの仮面もその一つにあたるのかな。「あと三日で月が……」だもの。
そういう時が本当に来たら、自分達って一体どうするのでしょうね? 関東地方に住んでいるので、どうしても「もしかして明日関東大震災に見舞われるかも知れない」ってよく思ってしまうのです。そして、焦る焦る。「今は死ねない!!」という日と、「死ぬかも知れない……」と思う日と……。だからやりたいことを、とにかく早くやってしまおうと焦っている私……。私のやりたい事って、只管作品制作なのです。絵にせよ物語りにせよ。とにかく今自分の中に在る物を総て吐き出したいです。多分もう一生分入っているので全部は無理でしょうけれど。
ムジュラのテーマでもある「時間を大切に」が、何だかもっともすぎてとっても恐いです。(ついでに、月やら盾やらの顔も恐すぎ(笑)。シュールだ……)。

世の中はFF9〜と騒いでいる中、私はまだそれどころじゃないあたり、何だか性格が出ておりまんもす。 ……というより、プレステ自体持っていないから多分やらないのだろうけれど……。 FF1〜6をやってきた私にとってはなんかこう……7以降はFFじゃない気がして。どうでもよくなってしまったというか。 その点ドラクエっていくつになってもドラクエだな(笑)と、思ったり。でも1〜3以外はちょこっとしか触っていませんが(笑)。竜探しは1と3あたりしかしていない気もするのだけど、でも世界観がそのままだから「ドラクエ」なんだな、と。 その点ゼル伝もずっとゼル伝だな。と、それが好きな理由だったり。
20000713 ガラスの仮面

ガラスの仮面の文庫版6〜8巻を読んだ。昔読んだ事があっとはいえ、結構忘れていてドキドキした。細かい台詞や言い回しまでじっくり読んだ。気が付いたら朝だった(笑)。
20000712 ぎゃ〜地震雲〜!!

今日帰り道南側を中心とした地震雲を頭上に見てしまいました。 今まで地震雲って地平すれすれとかにしか見た事がなかったのだけど、 頭上って初めて〜!!!怖いよ〜〜!! これが迷信っていうか私の勘違いであることを祈る……。 地震雲というのは、プレートの摩擦等で起こる電磁波の一種が 大量に大気中に放出されることによって普通とは若干違った水蒸気の集まり方を する雲で、細く流れるような形になると言われています。 それを見たら三日後に〜というのは、単なる迷信のようです。 地震後か地震前か、場合によって違うのかまだそのへんは解明されていないので ちょっと単なる迷信というか思い込みっていうのもあるのですが……。トホホ。 ちょっとこの恐怖感をどうにかしたくて皆さんに報告して見ました♪ ごめんち。
20000709 嵯峨塩

久々に温泉へ行って参りました。場所は山梨の塩山と言う山奥です。

朝ものんびり出掛けた私達が先ず向かったのは龍門峡。落合三つの滝という所へ途中から徒歩で向かいました。小さな滝という事も有るかも知れませんが、綺麗な所でした。水もとても澄んでいて、小さな滝が幾重にも重なって素敵な光景を描いています。
けれども、知名度の低さからか、誰一人として他の観光客を見かけませんでした。日曜日なのに。台風直後というのも原因のひとつとしてあるのかなと訪ねると、先導者は今まで何度も来てはいるが自分の連れ以外に逢った事がないという……。私的には隠れた名所としてもいいかなという所です。川に砂金もあったりする……(鑑定済み)。
道は人一人分位の幅しか有りませんが、それなりに整備されていて歩き易いです。途中螢袋(花名)の群生地があってとても綺麗でした。まだ梅雨の時期だと言うのに、ヒグラシのような泣き声の鳥がおり、秋を錯覚させました。
途中、真っ白く体長8cm程度のキノコ類かコケ類か普通の植物か判らない花が地面から生えて咲いており、山の植物の魅力にまた気付いてしまった訳ですが、とにかく見なれない植物だらけでした。それがまた綺麗。

旅館は嵯峨塩館という、先導者曰く「萎びた旅館」、私には「趣の有る旅館」でした。駐車場脇に大きな栗鼠小屋があって、十匹程度の栗鼠が元気よく走り回っていたのはびっくり致しました。 玄関には月輪熊や熊ん蜂の巣の剥製があったり、巨木の根の芸術的な置き物(?)があったり、山場だけあって崖に等しいので、平地がそれほど確保できないので物凄く小さいながら整備された日本庭園(?)の様な庭があったり……。
そして、石楠花という名の部屋へ案内されて更にびっくり!十二畳の部屋に合計四畳分の床の間が二ケ所ついて、更に隣に六畳の板張りの部屋が付き、非常に大きな鏡のついた水道と厠がついた廊下までが本日の部屋。しかも、座れば窓から滝が見下ろせ、床の間へ飾られた大きな掛け軸と生け花と、芸術的な障子、透き通る欄間、和室に合う様に作られた木と和紙の照明具……。目が休まる時間が無い程に素晴らしい部屋でした。

「くれぐれも、網戸はお開けにならない様になさって下さい」
若い女将が最初に注意を促す。山だけあって当然自然に存在する虫が大量に入って来てしまうらしい。
「ここにはどんな虫がいるのですか?」
少々間抜けな質問をしてみた。
「どんな虫もおります。蚊、蚋、蜂を始め、それはもう沢山」
見ると、網戸に透明な虫の抜け殻が張り付いていた。それが蛾なのか薄羽蜉蝣なのか、私には判らなかった。
目を瞑ると心地よい滝の音が耳に染みる。一定の音量がほんの少し風に揺らいで変わる。もしこの音が、「空調の音です」と言われたら、案外信じてしまうかも知れない。何故空気が噴き出す音と滝の音はそっくりなのだろう?一寸不思議に感じた。

夕食は、自給自足らしく、魚も釣って来たもので、野菜は栽培した物か山草だった。驚いた。見た事がない植物もあり、それなりに苦味があって大人な味。鶉の丸焼きや、鶉の卵の外側を金色にしてある薫製などもあり、見た目にも綺麗だった……。けれど、その金の卵をふざけ半分に金○と呼ぶ客人が多いのは参った…… (笑)。玉葱が全く辛く無くとても良い御味だったのには驚愕。

露天風呂もあり、夕方、夜、朝の三回入ってしまった。夕方は秋の様な趣で、夜は九千天の星。そう、満天と表現したいのだけれど、天の川までは確認出来なかったので九千天。それでも久々に見た大量の星だった。少し感動を覚えた。夜の露天風呂は涼し気で外気と水温の差が程よくあって最高だった。そして、朝の露天風呂は鳥のさえずりで爽やかに。次回は夕焼けと朝焼けを拝みたいと感じた。

さて、話は前後してしまうが夜の二十二時半頃、私以外の三人がすっかり寝入ってしまった後、私は独り六畳部屋を閉め切り、置かれたソファーに身を沈めながら窓の外に目を向ける。 眼下に川が流れる音がし、立ち上がらずとも自然と視界に丁度ライトアップされた夜の滝が見て取れる。
まるで作られたかの様な細い幾筋もの白い線を描きながら絶える事無く水は流れ続ける。
「ねえ、あれは何?」
不意に子供が声を掛けて来た気がした。
「なんで水がでつづけるけるの?なくなったりしないの?」
「あれはね、上の湖に溜まった水が少しずつ流れているからすぐには無くならないんだよ」
「じゃあその湖の水はどこから来てるの?」
「降った雨を、木の根と土が貯えて少しずつ流してくれているのよ」
「なら、みんな家に小山と木を持っていれば水道の代わりになるのにね」
その子供は紛れも無く幼い頃の私だ。私は当時、家の庭にこんもりとした小山と木々を植える事を夢見ていた。そして、その麓から獅し脅しに一役買えそうな、しかも土により濾過された澄んだ水がチョロチョロと流れ出てくると信じていた。
ずっと忘れていた、失ったと思っていた記憶が今になって詰まっていた石が滝によって削り流されたかの様に突然思い出された。
20000708 台風一過。

台風それた。ばんじゃい。(それだけか!?)(笑)
20000707 クロッキー大会

我が家で密かにクロッキー大会が催された。 いくら今まで人物クロッキーをした事が無いからとは言え、静物クロッキーとそれ程変わらない(?)かもしれない人物クロッキーが、素人並だった事に愕然とした。頭で理解していても腕が追い付いていない。うかうかしていられないなと感じた。
■クロッキー&デッサンの基本的な事。
■まず全体を書く。そう、いつ「ハイそこで終わり」と言われてもちゃんと形が見える様に。常に全体を書く。
■計り棒は必ず腕を伸ばして使う。(比率がずれるから)
■スケールはパースがかかったりすると役に立たない所か足を引っ張るので私は余りお勧めしない。
■画板は右に。
■描く時は輪郭ではなく山をとる。
■練り消しは消す為にあるのではなく、白を書く為に在る。
……こんな所かな………。さて、今日はこれから画材のお片付けだ♪(まだしてなかったんか!!!)
七夕なのに今日から台風だよ。
20000701 電車に乗っていたら(笑)

学校帰りの小学生が三人程、電車の最後尾車両に乗っていた。そして、ガラス越しに見える車掌さんを背伸びして一生懸命眺めている。
その日の車掌さんはずいぶん若手さん。一生懸命やっているなというのが伝わってくる。

「信号、ヨシ!モニタ、ヨシ!トビラ、よし!」
そのような台詞を毎回毎回言う。
私は進行方向左側の最後尾扉の前に立っていた。殆どの駅でこちら側が開く。子供達がいたのは反対側。イコール、滅多に開かない。私が乗る区間では(急行の待ち合わせが無い限り)二回しか開かない。
駅に止まるたびに車掌さんがホームへおりてしまい、自分達から見えないところに行ってしまうのが子供達にとっては少し残念に思えたようだった。
「何言っているんだろうね」
止まるたびに子供達は呟いていた。
電車が『梶ヶ谷』へ滑り込んだ。そう、反対側の扉が開く駅。
車掌さんはいつものように元気よくホームへ降りた。その瞬間、予期しない事がおこった。
真顔の子供達三人も、同じタイミングで扉から車掌さんを覗き込む様に扉から顔を覗かせた。
四人が一瞬硬直する。ばっちり目があってしまっていた。間髪を入れず、
「こんにちは。」
子供が挨拶をした。
車掌さんは既にチェックの為に振り上げていた手と共に軽く頭を下げつつ視線と口調はそのままで、
「し、しんごう〜……」と、仕事を続けた。
それまで馬鹿騒ぎしていた子供の突然の礼儀正しさ(?)に、その車両の誰もが笑いを堪えていた。
扉開けた瞬間にヒョッコリ顔を出した子供に挨拶されるとは思っていなかったであろう車掌さんは、暫く車内の方を向いてくれなかった(笑)。
一寸微笑ましい出来事だった。
鼕龍日記




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