ガラドリエルと指輪

『一つの指輪が滅びる時、それはそれぞれの指輪が滅ぶ時でもあるのです』

……という言葉に、私は凄く悲しい気がしました。願わくば、一つの指輪等永遠に見つからなければよかった!というのは本心ですよね。それまで一つの指輪は災厄を齎す物で、溶かしてしまう他は無いという事でどうしても進まねばならなかった道に、初めてそうでもなかったんだと知らされたこのショックは大きかったです。だからこそフロドはどうしようもなく椅畳まれ無い気持ちになり、『あげます』という言葉に繋がったのですよね、きっと。エルフの長として、エルフが衰退していくのを見守るしか無いと云う選択肢はとても辛い物ですよね……。

ガラドリエルはどことなく掴みきれない所がありますが、きっと敢てそうしているのでしょうね。

ところで、セレボルンって別の意味でとても可哀想だと思います。というのは、ロスロリアンのエルフの殿セレボルンと奥方ガラドリエルという関係ではありますが、表向きの王はセレボルンだとしても結局女王はガラドリエルであり、指輪の力を持っているのもガラドリエルです。セレボルンが指輪がガラドリエルの手中にある事を知っているか知っていないかは判りませんが、最早ガラドリエルの天下である事だけは確かです。『奥方の森に足を踏み入れた者は生きては帰れない』という噂話が立っているくらいですから、他所の世界にもロスロリアンの森を支配しているのは奥方であると云う事が広まっているのは確かだと思いますが……。

王侯制度のある実際の国々でも、勿論女王陛下が国を治めている所はいくらかありますが、トールキンさんは、そういったイメージでお描きになりたかったのかな……とも思いました。
それは、エルフ全体が女性的な美しさに満ちあふれている事を描写されたかったのか、それとも力ある指輪を正しく制す事が出来るのは殿方ではなく、芯の強い女性であると云う事を描写 されたかったのか、逆に、女性なんぞでありながら力を制する事ができる人がいたという意味で彼女が貴重な存在である事を描写 されたかったのか、それともまた何か別の物であるか……。何かしら意味がある事だと感じました。


20020720(現在小説七巻中盤)