騙された話
○お腹がすいて冷蔵庫を覗いてみるとそこにキャラメルらしきモノがあったの
で口に入れてみると塩辛い。口から出して見るとそれは固形コンソメだった。
○朝起きて、洗面所に行こうと暖簾をくぐろうとしたらいつも開いているはず
の扉が閉まっていて、おもいっきりぶつかった。
○弟の大学の合格発表が自分の大学の近くだったので見に行くと,合格してい
たので思わず小さくガッツポーズを取ってしまった。そのときそこのラグビー
部の人が「合格したんですか?」ときいてきたので「はい」と言うと、胴上げ
されてしまった。ありがとう、横国ラグビー部の皆さん。合格は僕じゃなくて
弟です。
○弟は中学時代野球部で、監督から「お前はうちの秘密兵器だ」と言われ3年
間、本当に秘密にされてしまった。
○退社時、バスに乗り遅れるーとダッシュで更衣室を飛び出したら、思いっき
り誰かに上着がひっかかり「ごめんなさい、急いでます!!」と頭を下げたら
消火器のノズルだった。
○車でガソリンスタンドに行ってガソリンを入れてもらおうとして、給油口の
レバーと椅子のレバーを間違えて引いてしまい、そのまま倒れてしまった。
○子どもを寝かしつけるために布団の中でお話を聞かせていた。最初は相槌が
あったがそのうち反応がなくなった。寝たのかな、と思ってそっと横を見たら
天井を見つめながら鼻くそをほじっていた。
○視力検査をそれぞれの教室で担任の先生が行っていた。「じゃあ、青木君、
左目かくして右目つむって。これは?」「…見えません。」
○いきつけのパーマ屋さんで、いつもの様にカット&ブリーチをしてもらおう
と思い「いつもの様にしてください」と言ってうとうとしていたら、数時間後
鏡の前にはパンチパーマの僕がいた。
○お歳暮に貰ったカルピスセットの中に入っていた100%ジュースを飲んで
ると、かあちゃんに「薄めて飲め!」と真面目に怒られた。悲しかった…。
○中華まんを買ったらキャンペーン中でスクラッチカードをもらった。その場
でこすってみると「は」の文字が。それを見た店員「そんなもんです」。
○ぼくは、ちっちゃいとき耳あかのそうじをされるのが嫌で、逃げてばっかり
いました。母は「いまにいっぱいになって、聞こえなくなっちゃうぞ〜」とか
「水を吸って、いっぱいになって取れなくなっちゃう」「あたまが割れちゃっ
た人もいる」などと言うので怖くてお風呂に入れなくなった覚えがあります。
○「耳垢を溜め過ぎると、耳垢の中から蛾が発生して、その蛾が耳の中で飛ん
で、その時に蛾の羽から出る燐粉が猛毒で、鼓膜にかかると耳が聞こえなくな
る」って話を中学二年の頃まで信じてた。
○4歳の頃、電卓をいじってたとき「×(かける)」の意味が何かわからず母
に聞いたところ、大人の足し算と教えられた。
○叔父は大まじめにこう言いました「血圧はかると死ぬぞ」。その言葉をずっ
と信じていたので、中学校に入学したての頃にあった健康診断で血圧を測るの
にただならぬ恐怖を感じました。先日も測りましたが、やはりあのときの叔父
の言葉がはなれず、怖ろしかったです。
○幼いころ食べた後すぐに寝転がると牛になると言われていました。しかし私
の母の実家には、農耕用の牛が一匹いました。母の里帰りについていくたびに
この牛は誰だろうと思い「おまえは誰だ」と必死で牛に話しかけていました。
○幼き日少食だった私は食事のたびに「『見たぞ』が来るよ!」とおどかされ
ていました。『見たぞ』とは、母が創作した妖怪(?)らしいんですが、要する
にご飯を食べない子供を「見てる」らしいんです…よく考えたら別に怖くも何
ともないですよね。見てるだけだし。でも、子ども心には怖かったです。
○私のお友達はアメリカに長く住んでいたせいか日本語をよく間違える。この
間まで結婚式で貰うのは「お香典返し」だと思っていた。ちなみにこの人はツ
チフマズをアシフマズだと思っている。
○私は生まれて28年間自分の血液型をA型だと思っていて、周りにも「A型
でしょ?」とすぐに当てられていたのですが、この前献血に行ったときB型と
判明。アイデンティティーの崩壊に、めまいがしました。
○高校の英会話の授業でネイティブの先生が星座について全て英語で話した後
うちのクラスの担任(英語教師)に「あなたの星座は何ですか?」と質問し、
担任は「アイアム ア モンキー」と答えていた。授業の後、担任は「日本とイ
ギリスでは干支の動物が違うから気をつけるように」と補足説明してくれた。
○シュガーレスインガムと本気で言った友達。
○私は、高校1年の秋まで、シャーペンの芯はシャーペン先端の芯が出て来る
場所の小さな穴に指を少し汚しながら、入れる物だと思ってました。そして、
正しい挿入場所を、ただの芯の保管場所だと思い、そこに保管しては、芯を替
える度に出して、先端の小さな穴から入れてました。
○授業中寝ているところを先生に指名されて、質問が分からないクラスメート
に、隣のやつが「好きな球団や、好きな球団」と嘘を教えた。彼は「阪神!」
と答えて教室中爆笑の渦になった。1985年の出来事。
○旦那の実家へ帰省した時。義母が「くまのぬいぐるみをあげる」と言いなが
ら、北海道土産によくある木彫りのクマを持ってきた。
○子どもの頃「お前はうちの子じゃない」といわれました。なら私はドコの子
だ?と長年考えたけど、私の顔はどう見ても父さんソックリ…。悩みに悩んだ
結果『母さんが父さんと私を拾ってくれたんだ!』という結論に至りました。
○小さいときお年玉をもらっては「おっきいもんを買わなあかん。それまでお
母さんがもっとったるわ」といわれ、ラジコンの欲しかった私はずっと我慢し
ていました。五年程してそろそろ買えるだろうとお母さんに出してくれと頼む
と「何ゆうてんの、あんたの目の前にあるやないの。」そこには引っ越した家
の大きな柱が…。
○小学生の頃、音楽の時間に「フェルマータ」という記号の名前がわからずに
立ち往生してた友人に「サルマータ」と教えたのは僕です。彼は自身たっぷり
に「サルマータ」と答え、そのまま彼のニックネームになってしまいました。
○ある日友人が「浜崎あゆみって、相原勇じゃないんだ…」とつぶやいていた。
誰かにだまされていたらしい。
○うちの母は当時4歳の弟に「ママは18歳」といっていたら(本当は37)
弟は幼稚園のみんなにそれを言ってまわってしまい、お迎えに行ったとき、新
米先生が「あの〜お母様、18歳なんですか?」とマジな顔で聞いてきたそう
です。
○我が家のテレビはシャープ製なのに他社のテレビのCMもうつる。これは親
切なテレビだぞ、と言われた。
○子どもの頃、熱いお好み焼きを食べる前に、湯気でおどっているかつお節を
「わあ、生きてるわ!食べられたないゆうて怒ってるわ!」と母にいわれ、こ
わくてよく泣きました。
○子どもがまだ小さいころ「お母さんは、本当は魔女なんだよ」といったらき
っと喜んでくれると思ったのに実際は「嘘でしょう?嘘でしょう?」と言いな
がら大泣きされた。
○小学生の頃、夏休みのプール教室に行くのに毎日母に体温を計って表に書い
てもらっていた。毎日同じような温度を書くのに飽きてしまった母は表に46℃
と書き、私は担任の先生にプールからつまみ出された。
○私の家の近くには自衛隊の航空基地があります。いつも朝早くから飛行機が
飛んでいてとてもうるさいのですが、小さい時よく親に「あれはマグマ大使が
アース様のお言い付けでみんなの平和を守っているのよ!」と言われて納得し
ていたので、飛行機が飛び立つたびに「マグマ大使がんばれー!!」と大声で
叫んでいました。
○子どもの頃「しゃぶしゃぶが食べたい」とおねだりしたら、母に「うちには
しゃぶしゃぶ鍋がないからできないのよ」と言われてがっかりしました。しゃ
ぶしゃぶ鍋がなくてもしゃぶしゃぶができる事実を知ったときは既に成人して
ました。
○私の友達は物心ついたときからずっと、父親に「動物園だ」といって毎週競
馬に連れていかれていた。小学校の遠足ではじめて本物に行き、「馬だけじゃ
ないんだ」と目を輝かせていた。
○僕が小さい頃、エスカレーターを降りる時「うまく降りないとこのまま吸い
込まれるのよ」といわれ、すいこまれたらまた向こう(乗るところ)から出て
くるのだろうか?と思っていました。いまでも降りる時は緊張します。
〇母は、私がストーブに近づきすぎてやけどをしないように「ストーブに触る
と、手がハンバーグになっちゃうよ!」といっていた。私はハンバーグを食べ
るたびに「これは誰の手なんだろう?」と思っていた。
○小さい頃父が母のお腹に向かって「男の子が欲しいな」と言っていました。
それを私に見つかり父がとっさに「お母さんにお願い事をすると願いが叶うん
だよ」と言ったので、次の日私も母の下半身に向かって「自転車が欲しいな」
っと頼みました。
○私が幼稚園に通っていた頃、母に「夜遅くまで子供が起きていると宇宙人が
さらいにやってくるよ。」と言われてました。幼い私は布団の中で、「UFO
に乗れるかも」と思い、ドキドキしながら宇宙人が来るのを待っていました。
○小学5年生に上がる年の春休み、母に『大事な話があるから…』と正座させ
られた。何でも担任の先生から電話があり、生活態度について注意を受けたと
か。普段より落ち付きがないと言われてはいたが、まさか新学期が始まる前に
先生から注意されるなんて、と半べそをかきながら母の話しを真剣に聞いてい
る私に母が言った一言。『四月ばかさ〜ん』
○私が幼稚園、兄が小学4年生の時、人魚姫の絵本を見て「どうして胸に貝が
ついてるの?」と聞くと、兄は「警察につかまるから」と答えました。
○小学生の時、近所でくしゃくしゃになった一万円札を拾いました。まだ心が
すんでいた私は、どうしていいか分からず、家に帰り母に相談しました。する
と母が、「しゃあないな、これ三枚と換えたるわ」と、千円札三枚を惜しそう
にくれました。
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